| 1965年 |
このときすでに脳性小児麻痺であった。 |
| 1967年 |
お店は忙しかったが、祖父が「哲史は一を聞いて十を知る奴だからちゃんとし てやれ」とバス賃をくれて通わしてくれたらしい。以後3年間通い続けた。この 頃の思い出を童話にしたのが「てっちゃんの通園記」である。 |
| 1970年 |
|
| 1972年 |
(同校は、3年後、徳島県立養護学校ひのみね分校となり、さらに10年後、 徳島県立ひのみね養護学校となった) |
| 1978年 |
|
| 1981年 |
|
| 1982年 |
|
| 1984年 |
結局進学も就職も出来ず、園内でぶらぶらしながら関政明氏の下で油絵を描く 時間が多くなる。 |
| 1985年 |
出品しようかしまいかだいぶ迷ったけど、思い切って出してみて良かった。 |
| 1986年 |
学生時代何度か見に行って「凄いなぁ」と思っていた所だけに、自分の作品が 並んでいるのがなんとも嬉しかった。 |
| 1987年 |
|
| 1988年 |
初めは形にも何にもならなかったが、最近やっとまあまあ思い通りの形が出来 るようになった。 |
| 1989年 |
|
| 1990年 |
あまりいろんな事をすると全てが中途半端になりそうで恐い気もするが、何で もやってみたがりの性分なので仕方がない。 |
| 1991年 |
|
| 1992年 |
2回目の投句ででいきなり巻頭に選ばれいい気になるが、次の号では最下位で あった。 |
| 1993年 |
多数の方に見てもらい、その反応にじかに触れて、創作意欲を新たにする。 予選で日本新記録をマークするが、本大会では0.3秒及ばなかった。 |
| 1994年 |
バジャーの仲間に入れたことによって、いろんな分野の様々な人たちと出会え 、交際範囲、行動範囲ともに格段に広がり、これ以降、自分の世界は大きく広が り続けている。以後、バジャー展には毎回出品する。 これでまた俳句がやめられなくなった。 |
| 1995年 |
また、知的所有権管理士試験に合格し、ひのみね療護園内で著作権登録相談所 を開業する。 |
| 1996年 |
俳句と抽象画が合体した油絵なんて、たぶん他にはないだろう。 |
| 1997年 |
県の建設業協会から療護園にパソコンが寄贈され、「出来るだけ早くwebページを公開して欲しい」 と言うので、未完成だったがとりあえず発信した。 この10日間で友達も増え、人脈も大きく広がった。 パソコンにもだいぶ馴れてきて、いろんな事が出来るようになった。 次はオリジナルカレンダーを作りたいし、「tetu通信」の発行、エッセイ集や童話集も自分で編集したいなぁ。 |
| 1998年 |
ひのみね療護園の自分のデスクに設置し、公私にわたり活用する。 草の実学園では「自立とは」をテーマに、徳島中学では「自分という人間の紹介を中心に 約2時間、結構リラックスして話すことが出来た。 言葉が聞き取りにくいにも関わらず、みんなが真剣に聞いてくれていたのがとてもうれしかった。 それまでのイメージ画だけでなく、ポスターのデザインそのものを担当。 これもパソコンのおかげだ。 とはいっても正式な手続きはしていない。県立の建物の中では正式に事務所を開くことは出来ないと思うので、 とりあえずは届け出なしの非公式なものです。 ちなみに第1号の仕事は、ひのみね療育園から委託された<地域療育等支援事業の機関誌【サラダノート】の編集>でした。 |
| 1999年 |
この年の【エナジー’99】は、ボランティアだけで運営し、無事成功。 翌年につなげることが出来ました。 |
| 2000年 |
サラダノート第5号の「ボランティアを考える」の中で軽い気持ちで書いた7箇条が思いも寄らない反響を呼び驚いた。 実習の教材として作っていただいたものを譲り受ける。 これによってより大きな作品が手軽に描けるようになった。重宝している。 まず最初に「自治会規約」を改正。体系的に曖昧だった部分を明文化し、 それぞれの役割分担をはっきりさせた。 約10ヶ月の講習でどれだけのことが出来たのか分からないが、 聞き取りにくいボクの言葉を一生懸命聞いてくれて、 みんなが少しずつ着実に上達していく様が大変嬉しかった。 |
| 2001年 |
ひのみね療護園利用者の権利と義務を謳ったもの。4月の定例自治会で承認されました。 と言えばものすごく格好良く聞こえるが、実は普通の車椅子にアクリル絵の具で色を塗っただけ。 こういうことをしていると絵描きの血が騒ぐ。なぜもっと早く気が付かなかったのだろう。 と同時に「てつのページ」も再オープン。 それほど大きく変更させることは出来なかった。 構想がまとまらず90年代前半に描いていた海の絵を久しぶりに描いてみた。自分ではイマイチの出来だと思うし、エナジーのスタッフの一人でもあるのに、こんな賞をもらってもいいのかと恐縮してしまった。 これを始めたおかげで今まで知らなかった作家に出会えたり、作家の制作場面を直に見れてとても楽しいし、行く先々でいろんな人に出会えて交友関係が一段と広がりつつある。 |