ゆうれい桜

「ひのみねかわらばん」より



     ゆうれい桜

 徒然なるままに日暮らし硯に向かいて……。おっと、ここには硯などない。現在はワープロの時代だが、僕は、あえて特製の長いペンを持ち、学生時代の使い古しのノートを引っ張り出してきて睨めっこしてる。理由はいろいろあるが、別に書いておく必要もないだろう。
 それにしてもここは汚い。本はそこら中に散らかってるし、メモ用紙、かわらばんの原稿、送られてきたハガキ等が、わがもの顔でのさばっている。一円玉まで自己主張している。活気がみなぎっているというか何というか、とにかく凄い空間だ。
「テツが来てから作業室が汚くなった」というウワサがあるが、それは紛れもない事実である。本人が言っているのだから間違いない。たまに「これじゃーいかんなぁ」と片付けなんぞというものをやってはみるが、すぐに本や書類でいっぱいになる。第一この方が仕事にとっつきやすい。次の日また引っ張り出すものをどうして毎日片付けなくてはいけないのかと、自分に理屈をこねてノートも本も開けたまま一日が終わる。そうしているうちに荷物が少しずつ増え、本立てを置くようになり、小物入れを並べて、今ではその空間を完全に自分のものにしてしまっている。もし、二病棟のH先生が今も療護にいたなら、「ちょっとは整理しなさい」と毎日のように叱られていることだろう。いや、それどころですまないかもしれない。ああ、良心がうずく。
 いかん、またいらんことを長々と書いてしまった。そろそろ本題に入ろう。
 今、僕の右手前方に園長自慢の『うこんの桜』が見える。県下に数本しかないと言われるこの桜は、2週間から3週間の間薄黄色の花を咲かせ、散るころには薄いピンク色になるという珍しいものだ。ひのみねでは、その奇妙さから『ゆうれい桜』として有名で、去年、三木知事が見物に訪れたことで益々その名を轟かすことになる。そして今年から観光客がドッと押し寄せ、自治会には拝観料がガッポガッポという記事を去年書いたが、そんなことはあろうはずがなく、今年この桜を見に来た人は職員以外ではまだいない。
 あっ、うわさをすれば何とやらだ。たった今Oさんが見学者をつれてやってきた。「寺銭いくら?」と聞かれたが、たった二人の客からお金を取るなんて気が引ける。そのまま通し、ゆうれい桜を満喫してもらうことにした。これでもう誰からもお金を取ることは出来なくなった。でもどうせ見に来る人はいないのだから「これでいいのだ」と一人バカボンのパパになる。 それにしても気になるのがこの桜のネ−ミング。「うこんの桜」というのは正式名なのだろうか?
 ひまにまかせて辞書を引いてみると「うこん花」というのはある。漢字も同じだ。憂鬱の鬱に金と書く。けれどもそれはカンナに似た多年草で、鮮やかな黄色の花を咲かすとある。ここのゆれい桜とは、似ても似付かぬ背格好だ。ちょっと待てよ!その横に「うこん色」というのがあった。「うこんの根で染めた色」と書いてある。そうか!うこんの桜とは、うこん色をした桜ということか。でも、これはあくまで僕の推測にすぎない。本当にそうなのか子供電話相談室に聞いてみたい気がしたが、やっぱりやめておこう。ムチャク先生が悩んでしまっても困る。
 それにもう一つ、今僕の頭を悩ましていることがある。それは、「うこんの桜」の「うこん」を漢字で書くべきか、かなで書くべきかである。漢字で書くと難しく、鬱金を「うこん」と読める人は少ないだろうし、第一書く方がめんどくさい。だからすべてひらがなで書いた。だが困った事にひらがなで書くと「うんこ」と見間違うのである。辞書で「うこん色」を見つけた時、思わず「うんこ色」と読んでしまった。そういえば、うんこもゲリぎみの時は黄色いかいなと一人吹き出しながら続きを調べてみたが、やっぱり「うんこの桜」と読まれてはシャレにもならない。それじゃどうするか?
 今も僕は頭を悩ましている。

*この文を書いてから数週間後、「うこんの桜」の正体が分かった。オオシマザクラ科に属し、正式名を『鬱金』というそうだ。詳しくはディルームにある園芸事典を見てください。

*日頃の僕の生活を知らない人の為に
   作業室とは美術、陶芸などのクラブ活動を行う部屋であるが、僕は一日中そこにこもり、自分の部屋の如く使っている。
      (一九九二・六・一 ひのみねかわらばんより)


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