単独外出

「ひのみねかわらばん」より



 十二月二十九日、午後二時四十分。僕は今、金長神社の公園にいる。
 ここもずいぶん変わってしまった。整備されてきれいになった、とも言えなくはないが、もうちょっと何とかなるだろうという気もする。それでも、おじいちゃん、おばあちゃん、おかあさんと赤ちゃん、小学校三年生ぐらいのガキんちょなど、十五、六人が思い思いに楽しんでる。ここは市民の憩いの場という感じがしてとてもいい。
 そんな中、僕は今、一人でいる。二時間前にひのみねを抜け出し、四国東門の前を通って今ついたばかりだ。今年五度目の単独外出。
「あれ?療護って一人で外へ出てもよかったっけ?」
たぶんみんなそう思うだろう。ひのみねでは、一人で外出することは御法度中の御法度なのだから。じゃぁ、どうして一人なのか。脱走してきたわけではない。ちゃ−んと「ちょっと散歩に行ってくる」と言って出かけてきた。別に不思議がることはない。カラクリを話せば簡単なことだ。一時帰省中にちょっとひのみねに遊びに来て、天気がよかったから散歩に出かけた、ただそれだけのことなのである。家に帰っていて、ひのみねには遊びに来ているだけなのだから、何を食べようがどこへ行こうが自由なわけだ。
 僕がこのことに気付いたのは、ほんの数か月前。それまでも何度も帰省中に遊びに来てたのに、ゲ−ムをしたり、勤務に来ている職員と遊んだりするだけで、散歩に出ようなんてこれっぽちも考えなかった。ひのみね周辺を一人でぶらぶらしてみたいというのが夢だったにもかかわらず……。なんてバカなんだろうと思う。
 初めて一人で出掛けて場所はマルナカだった。迎えが遅くなるというので晩めしを仕入れに行ったのであるが、マルナカがひのみねから車道を通らずに行ける唯一の店であるということもマルナカを選んだ理由である。結局この時はお寿司と平野君に頼まれたライタ−を買っておとなしく帰ってきたが、その後、図書館に行ったり、ニチイに行ったり、今まで動けなかった分をとりもどすように精力的に動きまわった。恐いもの知らずというか何というか、よくもまあ短期間にこれだけ動き回ったものだと思う。
 しかしこの五回の外出には収穫物がいろいろとあった。第一に、外にはやはり危ないということを実感できたことである。常に目、耳、その他の感覚を総動員して万全の注意を払わなければならない。もの凄く疲れる。けれど逆に言えば、それさえちゃんとしていれば事故る可能性はグンと低くなるわけだ。『敵を知り、己を知り、地の利を知れば百戦危うからず』という言葉がある。これを言い替えれば、「車の性能、危険度をよく知り、自分の障害の程度を的確に把握し、目的地までの道の状態を知った上で、より安全な所を通れば、まず事故ることはない」ということになる。端目には危なっかしく見えても、細心の注意を払って情報を分析、判断しながらの行動なのだから、みんなが思っているほど危なくはないのだ。僕は、元気な人が車を運転するよりずっと安全だと思っている。これが第二点。第三は、そうは言っても危険な道が多すぎるということだ。これから通る金長さんからひのみね裏門までの道は最もひどい。ボコボコとたくさんの穴があいている上に見通しがよくない。車椅子がこぎにくいのはもちろんのこと、車を避けるための反応が鈍くなり、それだけ危険度が増す訳である。病院、老人ホ−ム、幼稚園と施設が集まっている場所なのに、なんとも情けないことだと思う。
 情けないと言えば、今どき単独外出ができないというのも情けない。世間では、障害者の十年(あと三日で終わるが)とか言って、街へ出よう運動を展開しているというのに、海の向こうのアメリカでは、ADAなどというすごい法律ができたというのに、ひのみねは未だに単独外出が許されない。たまに障害者の集まりなんかに出席すると「ひのみねからよう出れたなあ」などと言われる。彼等の中には、どうも昔のひのみねのイメ−ジが強いらしく、ひのみねを「陸の孤島」と呼んでいる人もいるとのこと。「今は誰か付添い者がおったらいつでも外出できるんじょ」と言って回っているものの、単独外出ができないだけに情けなさを感じずにはいられない。
 あっ、もうこんな時間だ、そろそろ帰ろう。今回のは文としてはあまり良くないが、まあ言いたいことの一部は言えたから良しとしよう。なんたってこのコ−ナ−は、これが書きたいがために始めたコ−ナ−なんだから。今日の散歩も、これを書かんがための実験といっていい。園長先生はじめ緒先生、もう一度単独外出について考えてみて下さい。
 それにしても僕にはもっと重大な問題が残っていた。帰り道は、これまで動いた中で最大の難所である。行きはヨイヨイ帰りは恐いだ。無事ひのみねまでたどりつけるだろうか。


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