寝グソをしたらごめんなさい

「ひのみねかわらばん」より



 僕は時々夢と現実がごちゃごちゃになることがある。ほとんどの夢は、「これは夢なんだ」と思いながら見ているが、僕の夢はカラーでリアリティーがあるから、どうも現実と区別しにくい。例えば、朝配膳車の音で目が覚め、ねむたいなぁと思いながら味噌汁をすすっていると、またまた配膳車の音が聞こえる。えっ?と思うのも束の間、次の瞬間ふとんの中へテレポーテーションしている。僕は頭元の目覚まし時計に目をやる。そしてそこで初めて事態を把握し、慌てて跳び起きるという具合だ。
 また、夢であるのは分かっているんだけれど、あまりにもリアリティーがありすぎて、もしかしたら現実かも知れないと思ってしまう場合もある。オシッコをしている夢なんかがそうだ。夢の中では、便器あるいは叢に向かって飛ばしているのだが、それが実際の感覚以上に気持ちがいい。オシッコが尿道を通り勢いよく放出されるあの感覚が単独行動を起こし、現実の感覚のように甦ってくる。そして夢の中で考えている。「これは夢だ。だとしたら、ここはふとんの中ではないか。ということは今僕は寝ションベンをしているのか?」はっ、と目が覚めパンツに手を当てる。大丈夫だ。こんなことが年に数回あるのである。
 オシッコがウンコに変る場合もある。そしてやっかいなことに、こちらの方がいっそうリアリチィ−があるのだ。しりの穴からピコッと首を出すあの感覚、便秘の時の硬いやつが一気に肛門からすべり出たあの感触がそのまま再現される。しかもそれは便器ではなく、パンツの中であることが多い。おしりに生暖かさと重さを感じるのである。それがまた気持ちがいい。普通、ウンコをまかすと臭くて気持ち悪いように思う。常識で考えれば当然そうなのだが、夢の中では、この上なく気持ちがいい。幼い子供がウンコをまかすときの気持ちが分かるような気がする。言っても分からないと思うが、もう本当に気持ちがいいのである。が、それもつかのま、次の瞬間「こんどこそやってしまったのかもしれない」と思って跳び起きる。肛門のあたりは、まださっきの感覚が残っている。やばい、おそるおそる手をおしりに持っていく。ああ大丈夫だ。
 こんな具合だから、いつ本当に寝ションベンや寝グソをしてしまうかわからない。だから先に言っておく。
「寝グソをしたらごめんなさい」


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