自分にしか出来ないことがある

「'95 鴨島養護学校 講演原稿」


 えー、村上哲史です。少々緊張しています。どうもこういうのは苦手で、城ノ内高校でも何度か話をさせてもらったことがあるんですが、いつまでたっても慣れません。そのうえ言語障害があるので、僕の言ってる言葉がどれだけ伝わっているかと思うと、余計に緊張してしまいます。そこで今日は僕が言おうとしている言葉を全てワープロで打ってきました。できるだけゆっくりと分かり易く話そうと思っていますが、もし分からなければ、このプリントを目で追いながら聞いてください。これから2時間宜しくお願いします。

 えーと、まず僕が何者かというと、はっきり言ってただのプータローです。ひのみね療護園で毎日好きなことをやってるだけです。絵を描いたり、壷を焼いたり、本を読んだり、テレビを見たり、ときには昼間っから布団を被って寝てみたり……。とにかく好き放題やってます。

 施設にいるという不自由さはそんなに感じていません。食事の時間やメニューは決まっていますが、食べ物の好き嫌いはないし、時間通りきちんと食べた方が体にいいに決まっているので全く気になりません。外出も比較的自由にできるし、消灯時間だって別に不満はありません。むしろ「施設に居た方がメリットがたくさんあるな」と思えるほどです。冷暖房は完備しているし、絵を描くスペースも確保できているし、壷を焼く道具は揃っているし、いろんな情報が集めやすいし、施設の備品は遠慮無く使えるし、職員ほか手を貸してくれる人はそこら中に居るし、僕にとっては天国みたいな所です。

 ひと昔前、「僕はこんなに楽をしていていいのだろうか。施設を出て苦労というものを体験した方が、また別の経験が積めていいのではないか。一丁挑戦してみようか」なんて鼻息荒く考えたこともありました。でもこの天国のような楽な生活から離れることができず、今はどっぷりと施設のぬるま湯に浸かりきって「ここから出てみよう」なんて思わなくなりました。というより、今のこの状況をおもいっきり利用してやろうと思うようになったわけです。施設に居れば、身の回りのことはほとんど職員がやってくれます。ということは、自分の時間が多く持てるのです。それに僕等は「施設の利用者」なんです。利用できるものはおもいっきり利用すればいいんです。

 (余談になりますが、「職員と、施設で生活している人達は対等でなくてはならない」とか言って、数年前から「入園者」のことを「利用者」と呼ぶようになったらしいです。けれど僕には、なんかうわべだけ繕っているような感じがしてどうも嫌でした。反発もしてました。でもそこまで言うなら利用者になったろうじゃないかということで、この考えが生まれたんです。)

 また、施設というと病院のような所に隔離されているようなイメージがまだまだ強く残っているようですが、僕の場合、ひのみね療護園はほとんど別荘か別宅って感じなんです。しかも、お抱えの医者はいるし、栄養士はいるし、顧問の散髪屋さんまでいる。こんなリッチであるにも関わらず、家賃(利用者負担金)に食費、水道代、電気代、駐車場代など全て含めても月に4万円程度しかいらないんです。こんな安くて設備の整っている別荘なんて他には無いと思いませんか。僕はこういう最高の環境の中で、自由にやりたいことがやれているわけです。そしてこの環境が僕をここまで伸ばしてくれたといっても過言でないと思います。まぁ、こういう僕の個性を活かせる環境になるようにしむけていったのも僕なんですが…。



 さて、ここからが今日の主題です。

 何ヶ月か前にあるテレビをみました。「スポーツ偉い人列伝」とかいう番組だったと思いますが、アメリカのプロバスケットボールのNBAで、今、体の小さな〇〇〇〇〇という選手(名前は忘れました)が大人気だというんです。NBAといえば2mを越える選手がうようよいる所で、背が低いというのは選手として決定的な致命傷です。そんな中で160cm台の彼の活躍は「NBAの奇跡」と言われているほどだそうです。確かにこれは奇跡なのかも知れませんが、彼のコメントを聞けば、なるほどと共感できるんです。確かこう言ってました。

「そりゃまぁ背が高いのにこしたことはないよ。でも、背の低い僕には背の低い者にしか出来ないプレーが出来る。それをやりゃーいいんだよ」

 まさしくその通りなんですね。新聞なんかだとすぐに「ハンディの克服」とか書きたがりますが、実は、背が低いことが彼の特長なんですね。大きな選手の影からスッと現れパスカットしていく姿がとても気持ちよく、そして印象的でした。

 ここで彼の言葉を思い出してみてください。「背の低い僕には背の低い者にしか出来ないプレーが出来る」。だったら、「体の不自由な者には体の不自由な者にしか出来ないことがある」、そう言えると思いませんか。よく「障害は個性の一つ」なんて言います。僕もそう思っています。そしてこの個性を最大限に活かしてやれば健常者とも対等以上の勝負ができる、そうは思いませんか。勝負の場所は人それぞれ違うかも知れません。でもやってみる価値はあると思います。

 僕の場合それは芸術でした。いわゆる創作活動というやつです。なぜ芸術なのかというと、もちろんモノを創ることが好きだということがまず第一ですが、芸術の世界が「障害」の有る無しに関わらず誰でも入っていける世界、作品本位の世界(実際はちょっと違うのですが)だからです。いわゆるバリアフリーに一番近い世界なんです。それだけに「障害者なんだから」なんて甘い考えは絶対に通用しません。作品を見ただけでは誰が創ったものなのか分からないから同情のかかりようがないんです。健常者と同じ土俵でまったく対等に勝負できる、これは大きな魅力でした。

 とはいえ、体が自由に動かないのはやはりハンディです。でも、そのハンディを補ってまだおつりがくるぐらいのものを僕等は持っている。それは時間です。働いていれば、少々の時間でも、工面して、工面して作らなければならない場合が多いのに、僕等は一日10時間以上の自由な時間を既に持ってるんです。働いてなおかつ創作活動をしている人から見れば、羨ましい限りだと思います。だからお互い五分と五分。差引き0でハンディ無しと言っていいと思います。

 あとはその人が持っている感性の勝負です。芸術活動にはこれが最も重要なのかもしれません。そしてこの感性というのは、一般に子供ほど豊かだと言われています。大人になるにつれて、社会にもまれ常識と知恵が付くに従って薄れていくとも言われています。では僕等はどうでしょうか。子供の頃からずっと施設です。温室状態の中で育ったから大人社会の嫌なところを見る機会も少なかったはずです。いろんな経験も少ない。ということは、子供のころの感性が失われていない可能性があると考えられないでしょうか。いわゆる「感性の純粋培養」が成されているように思うわけです。精神障害や知的障害を持っている人が面白い絵を描くというのも、多分このあたりが関係しているように思います。それに、車イスで生活している僕等には「車イスの視点」という健常者には思いもよらない独特の視点からモノを見ることが出来ます。また、健常者が体験出来ないような経験をしていることもあります。これらが複雑に絡み合って一種独特の個性が出来上がるんだと思います。

 僕の絵の師匠である関さんは、「てっぱん(僕のことです)の中には大人と子供が同居しとる」と言います。僕はこれを最高の褒め言葉だと思っています。なぜなら、この独特の感性は、創作活動をする為の強力な武器となるからです。そしてこの「感性という武器」は同じように施設で生活してきた君等にもあるはずなんです。あるものは使わなくちゃぁもったいないです。どうかこの感性に磨きをかけて「世界に一つの自分の作品」を創ってみて下さい。



 さて、「世界に一つの自分の作品」というキーワードが出たところで著作権の話に移りたいと思います。著作権とは「世界に一つの自分の作品」を護ってくれるものなのです。初めの紹介でもあったように僕は知的所有権(著作権)管理士という資格を持っています。主な仕事としては著作権などの正しい知識を広めること、登録を奨励し、その代行を行うこと等です。本当は著作権の話だけで2〜3時間したいのですが、そんなに時間がないので簡単にします。

 まず著作権の適用範囲ですが、人真似でなく自分で考えて作った作品全てに適用されます。例えば、今日のこの話にも著作権は発生しているし、君等がノートの隅にちょろっと描いてある落書きにも著作権は発生しています。「えっ、でも私たち登録なんてしたことないよ」と言われるかもしれません。でも心配ご無用。実は著作権は登録なんかしなくても作品が出来上がった時点で自然発生しているのです。そして著作権が知的所有権である以上、一種の財産権なんです。「君たちの作品は君たちの財産」なんです。自分以外誰も勝手に書き直したり、勝手に出品したり出来ません。先生だって親だって出来ません。著作権法という法律でそうなっているんです。「自分の作品は自分の財産」こう考えると自分の作品に愛着が湧いてきませんか。その作品はまぎれもなく「世界にただ一つの自分の作品」なんですから。

 でも世の中には悪い奴がいて、気に入った作品を勝手に使う不埒者がいるんです。しかもそいつが「これは俺が考えたものだ。あんたこそ盗作だろう」と開き直られたら、裁判に持ち込むしかないんですね。本来必要のない登録を奨めるのは、こういう時のためなんです。登録しておけば日付も作者もはっきり証明でき完璧な著作権となるのです。でも登録するにはお金もいるし、毎度毎度は出来ないだろうから、作品が出来上がったら、せめてサインと日付だけは入れておいてください。これだけでもかなり証明材料になるので、必ずやっておくことをお勧めします。何度も言うようですが「自分の作品は自分のもの」です。「自分の財産」なんです。しかも著作権は自分が死んだ後も50年間有効です。そして、作品自体は大事にすれば永久的に残ります。ちょっとオーバーに言えば「作品は自分がこの世に生きた証」なんです。大事にして下さい。



 さて、そうと分かれば「いいものを残したい」と思うのが人間です。どうせなら誰もやっていないような自分だけのオリジナルを作りたいと思うのもまた必定。そしてだんだん欲が出てきて、せっかくだから名も残したい、有名になりたい、と思うようになってくるはずです。少なくとも僕はそう思う。たった1度の人生なんだから「村上哲史ここにあり」というのを見せつけてやりたいと思っています(まぁ、がむしゃらに突き進むというのは性に合わないから、適当に遊びながら楽しんでやっとります)。

 方法はいくらでもあります。公募展とか文学賞に応募して一気に名が上がるのを狙うもよし、個展なんかを企画したり、CDや詩集・エッセイ集とかを出したりして、地元からコツコツと広げていくもよし。とにかく何か行動を起こしてみることですね。そのうち誰かが声を掛けてくれるわなんて思っていたら何も始まりません。とにかく思い切って自分で始めることです。意外となんとかなるものです。

 とはいっても最初は何をどうすればいいのか全く分からないと思います。そこで今日は、そのノウハウをいくつか紹介しようと思います。たぶん何かの役に立つと思うので聞いといて下さい。

 まず公募展への出品ですが、基本的には誰でも応募出来ます。年齢や地域を限定しているものもありますが、障害者はお断りなんてところはまずありません。搬入搬出は自分でするのが基本ですが、出入りの業者(出品要項を取り寄せれば分かります)に頼めば手数料は多少かかりますが何から何まで全てやってくれます。これは何も特別にお願いするのではありません。全国公募の場合、地方の出品者の多くがこの方法を使っています。もっと身近な県展や放美展では、画材屋さんがやってくれます。こちらはサービスでしてくれるので手数料も不要です。みんなやってもらっていることなので、遠慮せずにひいきの画材屋さんに頼んでみて下さい。

 文芸関係はもっと簡単です。郵送すればいいだけなんですから。それに最近はワープロ原稿でも構わないところがほとんどなので清書の手間が省けて楽になっています。でも、いったいどこに応募すればいいのかという問題がありますが、新聞や雑誌を見ていたら、いろんなものを募集しているし、「公募ガイド」という雑誌も出ています。これには毎月三百〜四百の公募情報のほか、入選のための傾向と対策や文章教室まであります。けっこう役に立つので何か応募してみようと思っている人には購読をお勧めします。とにかく公募への応募は力試しになります。ダメもとで挑戦してみて下さい。

 次に、身近な所で作品を発表する方法ですが、まず重要なのが「場所の確保」です。てっとり早いのは今なら学校の文化祭、卒業後は、市・町・村が主催している地域の文化祭などです。これらは出品費用がほとんどいらないし、作品さえ持っていけば世話人の方がほとんどやってくれるので楽だという利点があります。そのかわり一人当りの展示スペースが少ないし、どんなところに飾られても文句は言えません。それが嫌なら自分で企画することです。町の公民館や図書館などは無料で借りられるところもあります。その他レストランや喫茶店など普通のお店にも展示させてくれる所があるのでチェックしておきましょう。とにかく自分の作風や作品の数とかを考えて選ぶことです。そして、ここと決めたら自分でお願いに行くのが礼儀ですが、どうしてもだめな場合は手紙を書くというのも一つの方法です。

 場所が決まれば、次は搬入搬出及び受付を手伝ってくれる「人員の確保」です。家族に来てもらうのはもちろんですが、足りないと思ったらまず、施設の指導員あたりに相談してみましょう。役職の出来るだけ上の人にお願いすれば、何人か回してくれるかも知れません。まぁ、職員とは日頃から仲良くしておくことですね。いきなり知り合いのボランティアにお願いするという手もありますが、施設の職員が「なんで私らに言うてくれんの」とすねる場合があるのでご注意下さい。 その次は「宣伝活動」です。ただ待っているだけでは誰も見に来てくれません。これでは展示会をしたことが無意味になってしまいます。せめて案内状ぐらいは作りましょう。

 印刷はワープロとかパソコンを使って自分でやってもいいけれど、数多く刷るなら印刷屋さんにお願いした方がお得です。はがきサイズの1色か2色刷りで百枚が4〜5千円ぐらいと思います。版下を自分で作ればもっとお得です。ただ、フルカラー印刷となるとかなり高くなります。1色刷りの4〜5倍は覚悟しておいた方がいいと思います。けれど任して下さい。むちゃくちゃ安い印刷屋さんがあるんです。長野県にあるオノウエ印刷は、カラー写真入りで千枚が1万5千円で出来るんです。遠くても関係ありません。版下を郵送すればいいだけなんですから。出来上がったものを送ってもらうのに2千円ちょっといりますが、それでも安いもんです。

 こうして出来た案内状は、友人・知人・昔お世話になった先生などに出すのが一般的ですが、地域で活躍している画家・作家・詩人等に宛て出すのもいいかもしれません。もしかすると批評してくれるかも知れないし、話次第では今後力になってくれるかも知れません。とにかくこういう人たちにはアプローチを掛けておくことです。

 新聞社やテレビ局宛に出しておくのも美味しいです。障害者の個展なんて聞くとマスコミは飛んできます。「障害を乗り越えて」なんて本位でない見出しは付きますが、この際目をつぶりましょう。マスコミの力は大きいです。それによって少しでも多くの人が来てくれて、自分と自分の作品を理解してくれたなら、それでいいじゃないですか。自分と自分の作品に自信があれば、何を書かれようが何を言われようが平気です。無名の僕らには、まず人を集めることが先決なんです。変なプライドは捨ててマスコミは多いに活用すべきです。

 そして最後はアフターフォロー。要するに「お世話になった人とか見に来て頂いた人へのお礼」です。これは当たり前のことであり、最も大事なことなんです。人を大事にすること。それは一見なんでもないように見えますが、後々大きく影響してきます。特に僕らは人に手伝ってもらうことが多いのだから、人は特に大事にして人脈を広げていって下さい。必ず大きな力となって返ってきますから。



 あっ、それから大事なことを忘れていました。大事なこととは、公募に応募するのも個展を主催するのも自分だということを自覚することです。失敗すればそれは自分の責任。当たり前のことです。それと、何でも1回目が特に重要です。1回目で失敗すると次が非常にやりにくい。逆に1回目に成功すると、自分も、手伝ってくれる回りの人も、要領が分かってくるので次回からは簡単に出来るようになるんです。だから1回目は特に慎重にやって、必ず成功させることです。

 そしてそのためには情報を集めることが大切です。新聞にはいろんな催し案内や作品の募集記事が載ってきます。近くである催しや「見たい!行きたい!」と思ったものは出来るだけ行った方がいいと思います。いや、出来るなら無理をしてでも行って下さい。すると、いろんな人に合えるし、話も聞けるかも知れないし、大事な情報が手に入るかも知れない。それに何よりも自分と自分の感性を磨くことが出来ます。時間の許すかぎり、体力の許すかぎり、外へは出ていった方がいいと思います。

 テレビとか雑誌なんかも大切な情報源です。最近は障害者向けの雑誌もいろいろ出ています。この「アクティブ・ジャパン」はカラー写真満載のスポーツ雑誌ですが、スポーツ以外でも役に立つ情報がたくさん載っています。僕はこれでパソコンの障害者割引システムを知り、先月、市価の1.5割安で買いました。

 また、パソコンといえばパソコン通信とかインターネットが大変便利です。なにしろ、いろんな情報が自宅に居ながらにして集められるんですから。そのうえインターネットでは画像のやり取りも出来ます。ということは自分の作品を全世界に流すことも出来るんです。世界を相手にした年中無休の個展、もっと大きく言えば、「仮想村上哲史美術館」を作ることが出来るんです。実は僕の今の目標はこれなんです。可能性として夢は大きくふくらみます。でもまあ一歩ずつ、今年はとりあえず小さなホームページを作って、世界へ発信できればと思っています。



 なんか長々としゃべってしまいました。個性や感性のこと、著作権のこと、個展等の企画の立て方。あまりいろんな事を言い過ぎて分かりにくかったかも知れません。でも、とにかく今日一番言いたかったことは、「どんな人でも、どんなに障害が重くても、その人にしか出来ないことが必ずあるんだ」ということです。「自分が生まれた意味」、「何をするために生まれていきたのか」、もう一度考えてみてほしいと思います。

 圓藤知事は徳島の戦略スローガン(だったと思います)に「個性・創造・自立」というのを打ち出しているそうです。僕はこのスローガンを初めて見たとき、これは僕等のための言葉だと思いました。「個性を活かし、作品を創造し、自立への道とする。」まさしく今日お話したことそのものです。また、「これからは創造力の時代」とも「アイデアの時代」とも言われています。だったら僕等でも参入していける可能性が充分あります。いや、むしろ豊かな感性を残している僕等こそが活躍できる「僕等の時代」がやってくるのかも知れません。



 最後に一句読んで終りにします。

 我にしか出来ぬことあり蝉の声      哲史

 ご清聴ありがとうございました。


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