とりあえず訪英記&訪英にあたってのレポート

徳島新聞「車いす訪英記」原稿


 イギリスに行って来た。日英赤十字社の交流メンバーの一人としてだ。ボランティア・看護婦あわせて総勢二十三名。一応「交流」というのが名目だが、思っていたほどの交流はなかった。それでも福祉先進国、感じるところはたくさんあった。その感じたことを素直に報告したいと思う。

   街を歩いて

 ロンドンに着いた日の夜、二人のボランティアと街の散策に出かけた。十日間もいるのだから何か変わったお店がないか調べておこうとしたわけである。

 そんな中、驚きの発見があった。なんと信号を無視して渡る歩行者がたくさんいるのである。もちろん車が来ているときは渡ったりしないが、車が来ないと思うと赤信号でも平気で渡っているのだ。車だって負けてはいない。この国の歩行者用の信号は赤に変わるのが異常に速く、車は人がいなければ青に変わったとたんの突っ走る。かと思うと横断歩道を渡ろうと待っているボクらのためにわざわざ車を止めて「先に行け」と合図してくれたりもする。

 日本なら信号は絶対である。だがこの国では、信号は一つの判断材料でしかないらしいのだ。一見無秩序のように見えるが決してそうではない。昼間なんか空港の信号のない所で、車同士がアイコンタクトでもしているように接触もせず交互に走り抜けていた。何事も自分で判断し自分で決定し自分で責任を取る。紳士の国イギリスの精神性の高さを垣間見た気がした。

 とはいうものの、この街はボクら障害者にとって動きやすい街ではなさそうだ。特に目が不自由な者などは、絶対に一人では出歩けない気がする。交差点はあんな調子だし、点字ブロックも車道に降りる部分に少ししかない。これでどう歩けというのだろう。

 車イス利用者も同じだ。歩道の石畳はそれほど酷くなく、歩道と車道の境の傾斜も緩やかで安心したが、歩道の全てに段差がなかったわけでははない。地下鉄や建物の中などは段差だらけだ。バスだってリフト付きは一台もないという。それに、あのあっという間に赤に変わる信号。これで本当に福祉先進国なのだろうかと思ってしまう。
 それでもこの国に来て車イスの人をよく見かける。毎日十人ときかない。ということは、やっぱりこの国は障害者にとって住みよい国なのだろうか。


   神の子

 三日目の朝、オックスフォードユニバーサルカレッジの一室で小児ホスピス「ヘレンハウス」についての講義があった。小児ホスピスとは、たぶん助からないであろう難病の子供達が死ぬまで楽しく生活できるようにするための施設である。二十歳までの難病の子供なら誰でも無料で入所でき、親と一緒に暮らすこともできるという。現在の入所者は八名。年間では百名を越すという。それだけ多くの子供達が死んでいっているのだ。

 子供達には全てを告知するという。そのうえで残りの人生を自分で決めさせる。この国らしい厳しさだ。その分ケアは手厚い。看護婦が常に一対一で付く他、教師、医師、ケースワーカー等、専門の資格を持った職員五十四人がそれぞれの分野でケアする。運営経費は、月に約一億円。政府からの援助は一切なく、そのほとんどが寄付金だというから驚きだ。でもどうしたらこれだけ多くの寄付金が集まるのだろうか。

 イギリス人は一生のうちに三度遺書を書くという。成人の時、結婚の時、死期が近づいた時だ。そして遺書には、「〇〇に××ポンド寄付」というふうに細かく具体的に書く。死後の事まで自分で決めておくとはいかにもこの国らしい。また、死ななくてもお金ができ次第寄付しに来る人も多いという。よほど寄付の好きな民族であるらしい。

 その背景にはキリスト教思想がある。彼らにとっては障害者も健常者も全て「神の子」なのだ。だから同じ神の子が困っていれば助けるのは当然だし、自分が困った時には遠慮せず助けてもらおうとする。そしてそれは、困っているから助けるのであり、障害者だから助けるのではないというのだ。

 こんな話も聞いた。階段の前で一言「上げて下さい」と言うと、そこら中の人が寄ってきて抱え上げた後「ありがとう」も言わぬ間に散ってしまうという。この国では周りにいる全ての人が介助者なんだと、当たり前のように言っていた。

 日本人のボクらには建前論にしか聞こえない話だが、多額の寄付が集まるのも事実だろうし、実際ボクらも通りすがりの人に随分助けられた。そしてこの時、街に車イスの多い理由が少し分かったような気がした。



   血の通った福祉

 日程が後半に差し掛かった頃、ようやく交流らしい交流が始まった。デイビット達が現れ、ともに行動し始めてからである。

 デイビットは全盲の大学生。中世の言語学を専攻している。そのデイビットが大学に入学する時の補助について話してくれた。

 それによると、まず入学時にデイビット個人に約六十万円の補助金が降り、音声付きパソコンなど必要なものを自分で揃える他、教室の改造なども本人主導で行う。費用の足りない分は役所に申請すればその都度必要なだけ補助してくれるという。これは全イギリス共通だそうだ。

 この役所の対応はすごいと思う。融通が聞くというか頭が柔らかいというか。障害に応じた補助ではなく、その人に応じた補助をしてくれるというのだから。そしてそれは「障害者を一人の自立した人間としてきちんと認めてもらえている」ということにほかならない。この制度を知ってイギリスに移住したという日本人の一人は、これを称して「血の通った福祉」と言っていた。

 でも、でもである。これを悪用しようとする人はいないのだろうか。イギリスは紳士の国だなんて言われているが、治安は決して良くはない。事実この渡英中にメンバーの一人がスリに会っているし、交流のお世話をしてくださっていた人なんか、車からカーステレオを引き抜かれている。それでも「イギリスはいいところよ」と言い続けていたし、交流で会った人もみんなそのように言う。

 今回この交流を企画し、お世話してくださった人は、どちらかというと上流階級の人達であった。確かにとても楽しい旅であったのだが、あるいはボクらは、イギリスの良いところしか見せてもらえなかったのかもしれない。それにこの国の障害を持つ芸術家についてもなんにも分からなかった(日本のように障害者だからとクロースアップされないから、一般にあまり知られていないようだ)。もしもまたこの国に行ける機会があったなら、そこらあたりの事をもう一度きちんと見てきたいと思う。



   自然体

 日程の最終日、最後の自由時間に地球歴史博物館に行って来た。大英博物館とどちらにしようか迷ったが、そんなに時間がなかったのでホテルから近い方を選んだわけだ。

 地球歴史博物館は他の建物同様いかにも昔風。階段も多そうだ。けれど中に入るとそれは一変する。エレベーターやリフトなどもあり、とても現代的なのだ。また、昔の造りをそのまま利用した部屋もある。それが妙にマッチして自然な空間を作り出している。そればかりか身障用トイレやエレベーターの表示も自然である。

 そういえばボクらが泊まったホテルにも大袈裟な表示はなく、ボタンを押してみたら扉が開いたりしてびっくりした事があった。そして前にも書いたように人々の障害者に対する対応もまた自然体だ。ある店の中で自閉症のメンバーが暴れだした時も店員さんは普通に接してくれた。

 とにかくこの国では何もかもが自然のままであった。障害者も一人の人間として扱われる。それだけに精神的にもきちんと自立していなければならない。障害があるからという甘えは絶対に許されないという厳しい現実もここにあった。



   日本だって

 レポートの最後に東京でのことを少し書いておきたいと思う。

 イギリスから戻った次の日、徳島への飛行機の予約時間までの間、迎えに来た兄と上野に行ってきた。美術館巡りでもしようかと思ったからだ。

 上野までは、はじめタクシーで行こうと思っていた。けれど、せっかく東京に来たのだから東京の交通事情も見ておきたかったし、「東京の駅の約40パーセントは車いすでも利用できる」というのを聞いていたので、とりあえず浜松町駅まで行ってみることにした。 

 JR浜松町駅には、階段に沿って上るリフトがあった。もちろん操作は駅員さんがしてくれる。そしてそのまま列車の中まで押していってくれ、上野駅に着くと扉の向こうに駅員さんが待っていてくれて、改札を出るまでずっと押してくれたのだ。帰りはもっと凄い。上野駅北口からJR、モノレール、JASと乗り継ぎ、結局徳島空港の駐車場の兄の車に乗るまで、ずっとそれぞれの職員がリレー方式で押してくれたのだ。しかもその馴れた手つき。「今夜どこに飲みに行く?」なんて話しながら階段を抱え上げているのだ。人によっては「なんて不謹慎な」と思うかもしれないが、ボクは凄くたくましく思えた。

 これはほんと凄いことだと思う。ある意味でイギリスでの発見よりももっと凄い発見であった。ボクはイギリスに行く前「日本はハード面では進んでいるが、ソフト面はまだまだ」なんてレポートを提出したのだが、どうしてどうして、日本だって捨てたもんじゃない。いや、むしろハード面が進んできている分、これからは日本の方が住みやすい街になるんじゃないかとさえ思えてきた。

 あとはボク達障害者自身が、もっと自然になるだけである。障害があるからといって卑屈になったり、必要以上に甘えたりするんじゃなくて、もっと自然体で、もっともっと外に出て、もっともっと人と話をすればいい。恋愛したけりゃすればいい。とにかくまず外へ出ることだ。そうすることで自分を磨くことも出来るし、周りの環境も必ず変わって行くはずである。だからここで改めて全ての障害を持つ仲間達に呼び掛けたい。

「さぁ街に出よう、空気のように」。





訪英にあたって提出したレポート

  『ハードよりソフトを』

 6年前アメリカに行ってきた。ADAの成立で、日本でもその盛り上がりが最高潮に達していた頃であり、「どんないい街なんだろう」と胸高らかに飛行機に乗り込んだ。しかし、実際に行ってみると僕の思い描いていた街とかなり違うのに驚いた。確かに段差はなく車椅子でどこへでも行けるのだが、石畳のガタガタ道があったり、歩道と車道の境が急勾配であったり…。思わず「なぁーんだ、この程度のものか」と思ってしまった。

 その瞬間である。僕の脇を電動車椅子がものすごいスピードで走り抜けていった。車椅子も体も大きく揺れながらである。「あっあっ、あぶな〜い」歩道には歩いている人もたくさんいたから、なんだかとても危なっかしい。それを華麗な?ハンドル捌きでひょいひょいとすり抜けていく。周りの人も平然と歩いている。なんだかその風景の中の全てがたくましく見えた。そして、これがアメリカなんだとつくづく思ったものである。

 それから何年かして、今度はある福祉雑誌で凄い記事を発見した。スウェーデンだったと思うが、リハビリのメニューに「車椅子で階段を上り下りするためのトレーニング」というのがあるらしいのだ。階段といっても2.3段のものだろうが、こういうことが一般に行われていることが凄い。いくらスウェーデンといえど全てをフラットにするのは不可能であり、その分車椅子の運転技術を教えることで出来る限り車椅子の行動範囲を広げようとしているわけだ。

 でも、日本ではこんなこと絶対にしない。もしもの時の責任は誰が取るのだという問題ばかりが全面に出てしまうからだ。もしもの事が起こらないように訓練することをせずにである。そしてお金をかけて道をきれいにしたり、必要以上に設備や待遇をよくしたり…。確かにそれも大事なんだけど、なんか見当違いのことをしているんじゃないかって思うことがある。障害者を弱者として扱いすぎているんじゃないか、障害者側も、僕を含めて甘えすぎてはいまいか、欧米では障害者も健常者も互いに努力しあって近づこうとしているのに、僕らはこのままでいいのか、なんて焦ったりする。でも、これだって僕の妄想に過ぎないのかもしれない。この前のアメリカの例だってあるのだから。

 今回の交流事業では、まずそのことを確認したい。街を歩いたり、いろんな人と話をすることによって、本当のノーマライゼーションとは何か、自立とは何かを見て聞いて肌で感じてきたい。また、芸術や文化に障害者がどのように関わっているかも見てきたい。日本障害者芸術文化協会の会員として、徳島県障害者芸術ネットワーク「As(Active souls)」のメンバーとして、「ノーマライゼーションの理想の最も近くにあるのが芸術文化だ」と考えている僕個人として、ぜひとも見てきたいものだ。

 そして帰国後は、見て聞いて感じたことを施設の仲間や「As」のメンバー、交流のある城ノ内高校の生徒等に伝えていきたいし、インターネットからは楽しく読めるエッセイにして発信したいと思っている。

 今の日本の福祉はハード面ではかなり充実してきているし、これからもどんどん良くなるだろう。問題はソフト面。障害者に対する社会の意識と障害者自身の意識である。どうも社会は僕らを一人前の人間として見てくれていないように思うし、障害者側にもちゃんとした大人として認めてもらえるような振る舞いが出来る者が少ないように思うのだ。とにかく今は障害者と健常者がお互いをよく知り合うことが大切だと思う。僕は僕の出来る方法で、少しずつでもいいから社会の意識を変えていけるような創作活動や講演活動が出来ればいいなと思っている。




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