時差ボケ


 十年程前、初めて海外旅行に行った。JTBが企画した障害者の為のアメリカツアーだ。ロサンゼルスでは、ユニバーサルスタジオやディズニーランドで遊び、「風と共に去りぬ」の舞台にもなったフェアモントホテルの最上階のバーで霧に濡れたサンフランシスコの夜景を見ながら、名も知らぬカクテルに舌鼓を打ったりもした。まったくの観光ツアーである。
 ツアーの朝は早い。朝の弱いボクがバスの最前列で眠そうに欠伸ばかりしていると、添乗員さんが「大丈夫?まだ時差ボケ治らないの?」と尋ねてくれた。みんながこちらを注目した。
「うん、大丈夫。時差ボケには慣れているし、日本にいても朝はいつもこんなもんだから。夜になると目はパッチリよ」
 バスの中に爆笑の渦が巻き起こった。
 朝が弱いのは今も治っていない。施設の規則では六時半が起床時間だが、朝食が来る七時半近くまでベッドから出られず、配膳車の音と共に食堂に向かうのが日課となってしまっている。何を食べたのかさえ覚えていないこともある。
 子供の頃からずっとそうだった。小学校入学とともに今もお世話になっている施設に入所。毎朝決められた起床時間にきちんと起きられず、叱られてばかりいた。起きようと思うのだが体がついていかない。「気合いが足りん」と、いくら叱られても結局朝寝坊は治らなかった。
 原因は、多分それ以前の生活にあると思われる。
 ボクの生まれた家は、ネオン煌めく繁華街の中心部で小さな食堂を営んでいた。夜は一杯飲んだお客様で賑わい、人様の胃袋は満たすものの、自分たちの夕食はなかなか口まで届かない。八時九時に食べられたらまだましな方で、十一時を過ぎても「腹減ったーっ」と叫んでいた記憶もある。だから、夜にはめっぽう強かった。当然、朝は遅く、母が起こしに来る九時前までぐっすりと眠っていた。そんな生活が当然のように繰り返されていたのだ。
 それがいきなり六時半起床と言われても起きられるはずがない。夕食は五時半、就寝は九時だ。幼いながらも、それまで生きてきた生活のリズムというか自分の中の常識的な価値観というもの出来上がっていたのに、それが根底から崩されたのだ。親元を離れて暮らすことよりもこちらの方がずっと大きなショックでだった。そしてそれはまた、生まれて初めて時差を感じた瞬間でもあった。
 その後、帰省から戻るたびに身体の変調を感じていた。昼間の身体には気怠さが残り、夜は言い様のない不安に包まれながら床についた。が、そんな感覚は二三日で治ってしまう。まさに時差ボケである。
店を閉めたあと三度の引っ越しで時差は少し縮まったが、今度は温度差が広がった。どこからか隙間風が吹き込み、コートを着たまま炬燵に入っていた三つ目の借家と、冷暖房が完備された施設。距離にしてわずか五百メートルしか離れていなかったにもかかわらず、海外に行ったような時差と温度差があった。
 アメリカに行ったのもちょうどこの頃。一週間の滞在中、毎朝のように欠伸を連発していた。でもそれは、ボクにとって極めて日常的なことでしかなかったのだ。
 現在朝八時二十分、ウインドウズの起動画面を見ていると、自然に口が大きく開いていった。


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