障害者の外出に関する総合レポート(前編)

全国療護施設自治会ネットワーク機関誌「あした」第14号


 先日、自治会ネットの小峰さんから手紙が届きました。障害者の外出について何か書いてほしいという内容の手紙でした。またかと思いました。というのは、このところあちこちからの原稿依頼が続いていたからです。しかもその全てが無報酬。「まぁ、お世話になっている人たちからの依頼だから仕方ないか」と思いつつ仕上げ、ポストに投函した直後に部屋に戻ると届いていたものだがら、もうガックリ。でもまぁ、外出についてならみんなに知らせたいこともいっぱいあるし、字数制限もないようだから書くことにしました。少し長いレポートになるかもしれませんが、我慢して付き合ってください。


1.施設の行事としての外出について

    【行き先別外出】

 うちの施設では、毎年「行き先別外出」というのを実施しています。「行き先別外出」というのは、あらかじめ設定されたいくつかの日帰りコースの中からどれか一つを友達と相談して選ぶことが出来るというどこの施設でもやっていそうな外出システムで、50人の入園者(利用者と呼ぶのが正しいようですが、そう呼ぶのはなんか上辺だけ繕ってるみたいで嫌いです)を8班に分け、月1回ぐらいのペースで行っています。入園者にはそれぞれ職員が1対1で付き添うので、1班の随行人数は10人から14人。移動手段は主に公用車(ライトバン)2台。行楽地でのんびりしたり、買い物を楽しんだり、劇場に映画を見に行ったり、殆どの入園者が楽しみにしている行事です。というのは、入園者の外出機会は非常に少なく、1年の内でこれ1回しか外出しないという人もいるからです。それだけにせっかくの外出を出来るだけ楽しんで貰おうと、外出コースの設定と班編制には大変気を使う。実は、これらを一手に引き受けて調整しているのがボクなんです。

 50人もいる中でなぜボクかというと、ボクが自治会の中で行事関係をずっと担当しているということもありますが、街の情報、車いすでも遊べる場所の情報、障害者用トイレの有無、その他いろんな情報をボクが一番持っているからです。これらの情報と入園者のニーズを総合して外出コースを設定しているわけですが、その中で一番頭を悩ますのが「食事の場所」。行楽地などでは比較的大きなレストランがあり団体で行っても大丈夫なのですが、街の中にはそんな所は非常に少ない。「お寿司屋さんに行きたい」と言われてもそんな大きなお寿司屋さんなんてあるわけないんですね。お寿司屋さんだけじゃーありません。雑誌で紹介されているような専門店はどことも狭い。車いすが2・3台入れば身動きできなくなります。

 そこで思いついたのがホテルの中のレストラン。結構いろんな専門店が入っていて車いすでも動きやすい。雨の日だって濡れずに行けるし、なんたって「ホテルでお食事」という響きがリッチで良いじゃないですか。


    【自由を抑圧している施設型共産主義】

  で、早速担当職員にその案を持っていきました。でもあまりいい顔はしません。こんなにいい条件がそろっているのになぜ?と問うと、予算内で食べられるものがあるかなぁって言うんです。施設が用意してくれる昼食の予算は1500円なんですが、それまでだって予算オーバーしたら自分で払っていたんです。だから「みんなお金持ってるんだから、そういうコースが一つぐらいあってもいいじゃない!」と食い下がっていました。すると別の職員が「私ら仕事に行ってまでそんな余分なお金は払いたくないよ。それにお金を持っていない入園者もいるんだからその人らのことも考えてあげ!」と話しに入ってきたんです。前半は「なるほど」と納得しました。ちょっとケチ臭いけど職員の本音だと思います。ボクだってそう思うかもしれない。でも後半はどうも納得できません。別にお金を持っていない人は外出させないと言ってるわけじゃないんです。他にもコースはたくさんあるんだし、ホテルのメニューだって高いものばかりじゃないはずです。もう大人なんだから自分の体の具合や懐具合、その他いろんな条件や情報を総合的に考えて自己決定が出来なければいけないはずでしょ。一般社会では当然ですよね。どうも過保護が過ぎるように思えてならないんです。「だって理解できない人もいるんだから」と言うけれど、「それを理解させるのもあなたたちの仕事じゃない」といいたかったですね。でもこれは非常に難しい事です。だからボクらの方を押さえてみんな平等のように見せかけて丸く収めようとする。一見道徳的で正論のように見えるのですが、これは明らかに管理する側の言い分であり常套手段なんです。こうした方が絶対にまとめ易いんですから。でも、管理される側から見ればどう考えても迷惑です。それだけ自由が制限されるのですから。「何言ってるの、みんな平等でいいじゃない」って言う人がいるかもしれないけれど、これは断じて平等じゃない。必ずそれを管理している人が上にいるんですから。現代社会の中で完全なる平等なんて有り得ないんです。一時マルクス主義とかレーニン主義だとかがいかにも理想郷のように語られていた時代があったけど、ふたを開けてみれば支配者にいいように利用されて独裁を許してしまったじゃないですか。その象徴のソビエトもベルリンの壁ももう崩壊してしまっているんです。それなのに日本ではやたら「平等」とか「公平」だとか耳障りのいい言葉を使って上辺だけの平等を叫びまくっている人たちがいる。「日本型共産主義」とよく言われているんだけど、施設などでは特にその傾向が強いから「施設型共産主義」と名付けることにします。

 この「施設型共産主義」だってある部分ではすごくいいと思うんです。だけど、レベルの一番低いところに揃えようとするところが気に入らない。管理する側にとってはこれが一番管理しやすいんだろうけど、中にいる者は抑圧を感じるだけでなく「やる気」を失ってしまうんです。いくら頑張ったところでみんな同じなんだから。やっぱりボクは共産主義は性に合わないですね。


    【ホテル利用に至る経緯と戦略】

 なんか話しがすごく違いところに逸れてしまったので元に戻しますね。ホテルでの食事を反対された続きです。一応その場は引き上げてきました。上のように共産主義がどうのこうの言おうものなら、ますます態度を固くされて「こいつは要注意」と睨まれるだけです。施設でうまくやっていくコツは「みんなと仲良く」が基本中の基本ですから。

 といって諦めたわけじゃーないですよ。ストレートがだめならジャブだってフックだって必殺のアッパーだってあるんです。フットワークを使った駆け引きも重要です。で、具体的にどうしたかというと、使えそうなシティーホテルやリゾートホテルに片っ端から電話してみたんです。車椅子で動きやすいかとか団体でも大丈夫かとか、1500円以内のメニューにはどんなものがあるかとか・・・。するとどのホテルも親切に対応してくれたし、お昼のメニューは意外と安いんですね。予約をすれば一部屋貸し切りにしてもいいという所もありましたし、予算にあわせて特別メニューも出来ますしサービスしますからぜひ来てくださいと言ってくれた所もありました。初めは「OH!素晴らしい」なんてびっくりしたり喜んだりしてましたが、でも考えてみれば平日の昼間のホテルって暇なんですよね。だから値段を安くしたりサービスをよくして少しでもお客さんを集めたいわけです。それが障害者だろうとなんだろうと関係ないんです。元々受け皿はあるわけですから。

 そしてこれらの資料を持ってもう一度交渉に行きました。するとすんなりOK(実は話しのわかる上司に前もって根回ししていたんですが)。こうなると、うちの職員は実に良く動いてくれるんです。実際にホテルに行って下見をしたりメニューを貰ってきてくれたり、話しはトントン拍子に進んであっというまに実現しました。今では人気コースの一つです。要するに職員にだって「入園者にいろんな経験をさせてあげたい」って言う気持ちはあるはずなんです。でも責任問題とかいろんなしがらみの中で保守的にならざる得ない所がある。だから初めは手強い敵でもちょっとのきっかけで頼もしい見方になってくれたりもするんです。

 「JRを使ってみよう」という案を出したときもそうでした。これはボクもあまり自信がなかったので時期が来るまで待つ事にしていると、2年後、職員の方から「やってみよう」と言ってきました。多分どこかの研究大会か何かで聞いてきたんだろうけど、そんなことはどうでもいいんです。職員から「よし、よろう!」という言葉さえ聞ければ8割がた成功したようなもんなんですから。とにかくボクの仕事は入園者のニーズを聞き、新しいアイデアによる利用可能なコースを設定して職員を説得する事なんです。新しいアイデアと言っても奇抜なアイデアじゃーありませんよ。 映画館での映画鑑賞とか葡萄狩りとか、普通の人が当たり前にしている事で多くの入園者が経験したことがないこと(うちには中途障害が少なく、みんな重度だから未経験なことが多い)です。「ビアガーデンで一杯」なんてのも面白いと思うのですが、勤務体制から考えて難しいかなと思いつつ「昼間からやっている所を探す」とか職員を口説き落とす戦略を練っているところです。



2.施設での個人の外出について

 そのためにはボク自信が街に出ていって情報を仕入れて来なければいけません。今度は、ボクや他の入園者が個人的にどのように外出しているかをお話します。


    【外出願いの抜け穴】

 うちの施設は基本的に外出外泊は自由なんです。ただし、きちんとした付き添いがいて、所定の外出願いに時間と行き先と付き添い人の名前を書かなければいけません。この外出願いについては、よく「面倒くさい」だとか「プライバシーの侵害」だとかいう声が聞こえたりするんだけど、ボクはそうは思わない。うちの施設が特別手続きが簡単なのかもしれないけれど、外出直前に提出すればいいだけなんだもん。家族に「ちょっとどこそこまで誰それと行ってくる。帰りは多分〜時になると思う。食事は食べてくるから」と言ってるのとイメージ的に変わらないんです。それに、この外出願いというものは結構いい加減。考えてもみてください。一歩外に出てしまえば行き先なんて誰にも分からないし、帰園時間だって「ちょっと遅くなります」と電話一本しておけばいくらでも引き伸ばせるんですから。知られたくなかったら正直に書く必要ないわけです(別に嘘を書く必要もないから正直に書いてますけど・・・)。門限だって決まっているわけじゃーない。今までに午前様を2回ほどしてしまったけれど別に何にも言われませんでした。まぁ滅多にない事ですしね、大目に見てくれているんだと思いますが・・・。

 外出手段としては、主に母の車に乗せていってもらう事が多いですね。幸い母はフリーの仕事をしているので比較的自由に動けるんです。目的地でボクを降ろした後母はその付近の客回りに行きます。その間にボクは自分のやりたい事をする。外出願いの盲点を突いた裏技の一つです。その他、友人や知人が送り迎えしてくれる事も多いです。リフト付きタクシーを使う事もあります。この時は出来るだけ大勢を誘います。みんなで割り勘にすれば安く付くからです。バスは車椅子のボクにはちょっと無理ですね。鉄道は使えなくはないんだけど、やはりドアtoドアが便利です。

 こんなふうに規則の上では比較的簡単に外出できます。けれど実際に頻繁に外出しているのは、ボクを含め2〜3人。時々タクシーを呼んで出ていっているのが4〜5人。あと近所を散歩したり買い物に出かけたりしているのが5〜6人ぐらいってところでしょうか。みんな外出が嫌いなわけじゃーないんですよ。その証拠に家族が面会に来ると必ず出ていっていますから。でも家族だってしょっちゅう来られるわけはない。他に連れて出てくれる人がいないから当然外出の回数は少なくなるわけです。だから、年に数回の寮母さんとの散歩をみんな楽しみにしている。結局、付き添い人を確保出来るかどうかというのが大きなキーポイントになっているみたいです。


 今回は一応ここまでにしておきます。次回は、付き添いがいらない「単独外出の解禁」へ向けての交渉の過程と、アメリカ・イギリス両国での体験および日本の未来への希望なんかを書きたいと思っています。どうぞお楽しみに!



障害者の外出に関する総合レポート(後編)

全国療護施設自治会ネットワーク機関誌「あした」第15号


 前回、個人の外出については、「付き添いを確保できるかどうかがキーポイント」と書きましたが、今回は、付き添いが必要ない「単独外出の解禁」に向けての交渉の経緯、それからアメリカ・イギリス両国での体験などを踏まえて、今後の展望等を書いてみようと思っています。


1.単独外出の解禁に向けて

    【施設は街にある方がいい】

 最初に、うちの施設の自慢話をしたいと思います。まず、自治会がきちんと整備されていて、施設側との交渉が定期的に行える事。うちの施設は昔からこれだけはきちんと整っていたので、自治会がない所があると知りびっくりしたほどです。また、インターネットも自由に使えます。パソコンは作業室にある1台だけなのですが、電気代、通信費、用紙代なんかも全て施設持ち。こうなった経緯についてはまた次の機会にしますが、それはもうラッキーそのものでした。その他、アダルトビデオを堂々と見る事が出来る時間帯があるとか寮母さんが可愛いとかいろいろあるんだけど、ボクが一番自慢したいのはうちの施設の周辺環境です。

 実はうちの施設は街の中心部に近い所にあるんです。旧国道(番号が2桁台の国道でしたから交通量はかなり多い)からは100mほどしか離れていないし、駅やバス停も近くにあります。だからタクシーだって呼びやすい。車を使うにしても公共の交通機関を使うにしても、こんな交通アクセスが良い療護施設は他にないんじゃないかと思うぐらいです。

 しかも、それでいて裏には山もあるし田圃もある。自然にだって結構恵まれているんです。また、正面には大きな病院があるからいざという時安心だし、住宅も多いから当然近くにお店もたくさんあります。スーパーなんか隣にあるし、喫茶店からラーメン屋、うどん屋、お好み焼き屋、雑貨屋、コンビニ、ビデオレンタルショップ、ついでに「マイカル・サティ」まである。それから、市立の図書館もあるし、桜のきれいな公園や駅まで延びる遊歩道、これらが全て歩いて10分以内の範囲にあるんですから。どうです、羨ましいでしょう。

 ところがです。この自慢の周辺環境を十分に生かしきれていないのもまた事実です。どういうことかというと、前にも書いたとおり外出には必ず付き添いが必要だから、気が向いたときに「ちょっとそこまで買い物に」なんて訳にいかないからです。隣にあるスーパーに行くのだって、一人じゃダメ。いわゆる「単独外出の禁止」というやつです。たまには一人でブラブラしたいことだってあるのにね。

 「危ない」というのが一番の理由。「車が多いし道路は整備されていない。もしものことかあったらどうするんだ。周りの住民にも迷惑を掛けたくないし・・・」というのが施設側の言い分なんです。皮肉な事に、街の中にある事が外出を規制する要因にもなってるんですね。確かに危なくないと言えばウソですが、そんなこと言ってたらどこにも行けないじゃーないですか。車に乗っても飛行機に乗っても危険は付き物なんですから。ボクに言わせりゃー、二輪の自転車やバイクの方がよっぽど危ない。車いすだけ「危ない危ない」言われて施設や家の中に閉じこめられるのは、どう考えてもおかしいと思うんです。困ったことが起きれば通りかかった人に助けてもらえばいいじゃないですか。そこから交流が始まるかもしれない。交流は波紋となって広がり、やがて大きな波になるかもしれない。そしてこうなることが、障害者の、ひいては全ての人が住みよい街を作る第一歩だと考えているんです。住みよい街づくりのカギはボクらが握っていると信じています。だから施設は街にあった方がいいんです。

 そしてそのためには、まず、気軽に交流できるよう開放的な施設でなければいけない。どうも施設というのは一般の人には入りずらい所のようですから。そこで、講演とか個展とかを開くたびにうちの施設にどんどん遊びに来るよう呼び掛けてきました。幸いにして入園者の中に絵とか俳句とか陶芸とかで有名な人が何人かいたので、そういう文化的なことを一緒にしましょうという形で誘いました。施設としての交流はいろいろ面倒なことが多いから、個人的な友人として招き入れました。こうすれば規則的にもなんの問題もないからです。そのかいあってか少しずつ遊びに来てくれる人も多くなり、昨年の文化祭には彼らの作品展示コーナーを作ったり施設ぐるみの交流へと発展しつつあります。

 それともう一つ。出ていく方も自由じゃなくてはいけません。そしてこの「単独外出の自由化」がボクらの一番の望みでもあるんです。しかしこれを実現させるには規則から変えなければいけません。規則を変えるというのはホント大変なんです。前にも書いたように施設というのはどうしても保守的ですから。先輩の入園者も何回か交渉してみたようですが、「危ない」の一点張りで全くダメだから諦めたって言ってました。


   【単独外出解禁に向けての戦略】

 でも、ボクにはどうしても諦めきれません。この豊かな環境を指をくわえて見ているのは勿体なさすぎます。それに「危ない、危ない」といつまでも子供のように扱われるのにも腹が立つ。でも正面から交渉しても、また跳ね返されるだけです。そこで、またまた考えました。要するに「危ない」と言えなくしてしまえばいいわけです。そのためには「危なくない」と言うことを証明しなくてはいけない。証明するには実際に単独外出をして、その実績を認めてもらうのが一番だと考えたわけです。問題は「どのようにして単独外出を強行するか」です。無断外出はダメですよ。そんなことをすれば睨まれて益々話がこじれるだけですから。規則を破らず、誰にも文句を言わせない形で単独外出を実行しなければ・・・。一見不可能のように思えるけれど、ちょっと発想の転換をしてやれば簡単に出来てしまうんですね、これが。

 具体的にどうしたかというと、どこの施設でも帰省はできますよねぇ。その帰省中にわざわざ施設に遊びに行くんです。いくら厳しい施設といえど帰省中の行動までは干渉しては来ないでしょう。だから堂々と単独外出が出来るわけです。またボクの場合、幸いにして自宅が施設の近くにあったので、「ちょっと行ってくる」って感じで行けたのもラッキーでした。春休みや夏休みの帰省中、仕事で家族が誰もいなくなるときなんかによく行ってました。もちろん弁当持参で。

 施設に着くと、「来ているぞ」というのを出来るだけ多くの人に見せるためにそこらをうろつきました。誰もボクの戦略だなんて事は知らないから、「また来てる」とか「今日のお弁当は何」とか無邪気なものです。そしてみんなと遊んでお腹がすいたら弁当を食べて、しばらくしたら「ちょっと散歩に行ってくる」と言って出掛けるんです。職員も「気を付けて行ってらっしゃい」と言うだけです。例えボクが事故に遭ったとしても帰省中だから責任は問われない。まぁ、それだけじゃありませんが、うちの職員は物分かりがいいというか快く行かせてくれるんです。「お土産お願いね」という人もいます。散歩のお土産というのもおかしな話ですが、確かにその店に行ってきたという証拠になるので出来るだけ買ってくるようにしました。それにお土産買ってきて喜ばない人はいないからね。

 こうして何回か単独での外出を果たした後、その体験をエッセイまとめたんです。内容は、道路の状態の悪い個所や危機一髪の出来事など、少しはフィクションを入れたりもしましたが、素直にありのままを書きました。そして、最後に「敵(車など)を知り、己(障害の程度など)を知り、地の利(道路状態など)を知れば、百戦危うからず」の故事を借りて、気を付けてさえいれば危険は少ないことを強調するとともに、うちの施設が他の障害者から「陸の孤島」と呼ばれていることとかアメリカのADA法を代表とする世界の流れを書いて「そろそろ単独外出を認めてくれてもいいのでは」という要求を入れ、全体に柔らかいタッチで楽しく読めるように仕上げました。そしてこれを、園長と自治会との話し合いが行われる少し前に園内で発行していた新聞で発表したんです(この新聞も当時はボクが編集してましたから)。

 すると評判は上々でした。施設側との交渉の席でも終始和やかで、こちらのペースで話は進んでいきました。とはいうものの「道路は危ない」というのは厳然たる事実です。ボク自身身をもって体験していますからよく分かります。それに、「もしもの時」という施設側の心配も分からなくもない。で、結局、「外出は二人以上でする事」、「あまり遠くへ行かず、より危険な道は通らない」という約束をせざるを得ませんでした。が、とにかく付き添い人なしで外出が認められるようになったわけです。作戦は大成功と言っていいんではないでしょうか。ただ、この外出が認められたのは一部の入園者だけであり、当然のことながら、自分で動けない人や車椅子の運転の未熟な人(この表現は適切ではないかもしれませんが)、発作が頻繁に起こる人、いろんな判断が自分でできない人などはこれに含まれていません。うちの施設には最重度の人が多いので「完全に自由な単独外出」を要求するのは無理なのかなぁなんて思ったりもしますが諦めたわけではありません。

 長い間施設にいると、いろんな人の立場や事情が見えてくるから思い切った交渉が出来なくなることもあります。でも、それらを理解した上で、ボクらは施設の利用者なんですから利用者は利用者の立場でいろんな要求をしていけば、なんらかの歩み寄りの策は生まれるものなんです(こういう時だけ「利用者」という言葉を使うのは卑怯な気もしますが)。ごり押しもどきの強攻策は信頼関係を失うだけ。相手を立てながら理にかなった交渉で、ゆっくりと外堀から埋めさせていく。時間はかかるかもしれないけれど、これが一番安全で確実な方法だと思います。次なる戦略も着々と進んでいます。問題は交渉の時期をいつにするかですね。まぁ、焦らずぼちぼち行こうと思っています。



2.海外に行けば日本が見えてくる

   【可愛い子には旅をさせろ】

 話は変わりまして、ここからは海外で経験したことや感じたことを書いていこうと思います。

 「国際的視野」なんていう言葉、よく耳にしますよね。「もっと広くいろんなものを見渡せる大きな目をもちなさい」ってことなんだろうけど、施設や家庭に閉じこもりがちな障害者にはこういう感覚が養われにくい。人との付き合いも少ないし、経験も少ないからその範囲内でしか物事を考えられないんです。そのうえ小さい頃から「かわいそうな子供」として育てられているから、わがままで自己中心的な人がたくさんいるんですね。うちの施設にも結構います。ときどき「お前等のような天動説を唱える奴がいるから障害者全体がなかなか大人として認めてもらえないんじゃ」と腹が立つことがあるけれど、これだって決して彼ら本人だけか悪いんじゃない。小さい頃からいろんな意味で囲って囲ってして、障害者にいろんなことをさせなかった親の責任、施設の責任、社会の責任が大きいように思うんです。

 だから今からでもいい、もっともっといろんな経験をさせてあげれば、視野も広くなるし大人として人間として成長できるはずです。その特効薬が「外出」です。外出すれば予期せぬ事か起こる場合があります。また、気を使わなければいけない場面もたくさんあります。そうやっていろんな経験を積むことで、人への思いやりや自分への自信が付くもんなんです。ロールプレイングゲームなんかをしていても経験値が上がると強くなったりいろんな事が出来るようになるじゃないですか。よく「可愛い子には旅をさせろ」なんていいますが、まさにこういうことなんだと思うんです。

 そして、外出の中でもっとも遠くへ足を運ぶのが海外旅行。当然経験も豊富に出来ていいのですが、それよりも何よりも良いのが「自分と自分の足元がよく見える」って事です。自分のいる施設、自分のいる地域、そして日本という国が望遠レンズで覗くようにクッキリと見えてくるんですね。遠くへ行けば行くほどピントが合うというか実によく見えてくるから不思議なものです。


   【アメリカ・イギリスで見たもの】

 ボクがアメリカに行ってきたのは7年前。ADA(障害を持つアメリカ人法)が成立して2年目のことです。ちょうどこちらでも「ADA,ADA」と騒がれ始めた頃で、「どれ、一丁見てきてやろうか」と張り切って行きました。といっても留学とかそういうんじゃないんですよ。JTBが企画した障害者向けのただの観光ツアーです。ですから費用もだいぶかかったし奥深くまで見ることができなかったのも事実です。それに、なまじ期待が大きかっただけに「歩道が石畳で動きにくい」とか「歩道と車道の境の勾配が急で危ないなぁ」とかそんなことばかりに目がいっていました。でも次の瞬間、ボクがそれまで持っていた「道の価値観」がすべて吹っ飛ぶ出来事に遭遇したんです。

 まず後ろから電動車椅子の音が聞こえてきました。ツアーのメンバーには電動車椅子に乗っている人はいなかったので明らかにあちらの人です。振り向くのも変なので、そのままふつうに押してもらっていました。すると、あっという間にボクらを抜き去っていったんです。それももの凄いスピードでです。車椅子もその上に乗っかっている体も上下左右に大きく揺れていました。でも平気なんですね。人がいてもヒョイヒョイとすり抜けていくんです。ボクらから見ると実に危なっかしい。でも周りの人たちもみんな平気なんです。なんか、この風景の中にある全てのものが凄く大きく見えたのを今ではっきりと覚えています。でも、きっとアメリカではこれが普通なんでしょうね。

 イギリスでも面白いものを見てしまいました。イギリスへは去年、赤十字の障害者交流事業の派遣団の一人として行って来た(うちの園長が推薦してくれて突然行けることになりました。だから当然旅費はいりませんでした。ラッキー!)のですが、ロンドンに着いた日の夜、さっそく夜の街に繰り出したんです。すると、なんと信号を無視して渡る歩行者がたくさんいるんです。もちろん左右は確認していましたが、車が来ないと思うと赤信号でも平気で渡っていました。車だって負けてはいません。この国の歩行者用の信号は赤に変わるのが異常に速く、車は人がいなければ青に変わったとたんの突っ走ってきます。ボクらももう少しで当てられそうになりました。かと思うと横断歩道を渡ろうと待っているボクらのためにわざわざ車を止めて「先に行け」と合図してくれたりもするんです。 日本なら信号は絶対ですよね。でもこの国では、信号は一つの判断材料でしかないらしいんです。昼間なんか空港の中の信号のない交差点で、車同士がアイコンタクトでもしているように接触もせず交互に走り抜けていたのを見て、「さすがにサッカーの強い国は違うなぁ」と驚いたばかりでした。アメリカでもそうだったように「何事も自分で判断し自分で決定し自分で責任を取る」というのが基本にあるんでしょうね。まぁ、当たり前といえば当たり前と言えなくもないんですが、今の日本では到底無理だなぁと思いました。


   【街へ出よう、空気のように】

 なぜかといえば、日本は障害者に対し変なところで甘すぎるんです。日本には「障害者は守ってやらなければいけない人たち」という考えが根強くあるからです。「弱いものを守る」。けっして悪いことじゃないのですが、必要以上に甘やかせてはいけない。家庭とか施設という温室の中で周りの者が全てをしてしまう。だから自分一人では何にも出来ない人間、他人任せの受け身の人間が出来てしまうんです。障害者に対してだけではありません。子供にも老人にも普通の大人にも政治にも経済にもです。とにかく全てに対して甘やかせすぎのように思えてなりません。だから日本は全てに未熟なんです。 今日本の経済は大きく揺れています。「金融ビッグバン」という大きな自由化の波が押し寄せてきたからです。今までいろんな規制の中でぬくぬくと育ってきた企業が慌てふためいて、合併したり倒産したりしています。でもこれは日本が一人前になるためにどうしても通らなくてはならない道なんです。行政改革だってそう。是非もう一度考え直して、思い切った改革をしてほしいものです。

 同じように、施設だってもっといろんな規制緩和をしてほしい。みんなもそう考えていると思います。でもみんなが考えているような本当に自由な施設に突然なったなら、今の日本経済以上に大混乱するはずです。なぜなら、何度も言っているように施設には大人になりきれない他人任せの人間が多いからです。そしてこういう人たちは、たいてい自由の意味をはき違えている。自由とは何でも自由に出来ることじゃないんです。自由とは、何でも自分で決めなくてはならなくなることなんです。自分のすることに責任を取らなくてはならなくなることなんです。このことに障害者自身が早く気づかなければならない、気づかせてあげなければいけないと思うんです。

 海外から見ても、日本は施設整備や法整備の面でそんなに遅れているとは思いません。遅れているのは意識の問題なんです。いつまでも障害者を弱者扱いしていては国際的にも遅れていく一方です。障害者を一人前の大人として認識し、活用できるものは活用し、貴重な人材資源、財源として位置づけるぐらいのことをしなければ…。そしてこれがADAとかノーマライゼーション、ユニバーサルデザインの基本的考え方なんです。

 こう考えていくと、日本の福祉政策が変わる日、いわゆる「福祉ビッグバン」がやってくる日もそう遠くないかもしれません。だとしたらボクらは一刻も早く精神的にきちんと自立していなければならない。障害があるからといって卑屈になったり、必要以上に甘えたりするんじゃなく、一人前の大人として「何事も自分で判断し自分で決定し自分で責任を取る」ことが出来るようになるための訓練をしていかなければいけない時期にきてるんです。

 その一つの方法が「外出」です。どんどん外出していろんな人と話をして、いろんな気遣いをしたり、常識を覚えていったり、とにかく社会性を身に付けることがまず第一だと考えます。また、「外出」すれば、本人だけでなく周りの人間にも少なからず影響を与えます。何度も言うようですが、外出することで自分も周りの環境も必ず変わっていくはずなんです。そしてどんな所にも自然な形で障害者が必ずいるという風景が出来上がったとき、日本は必ず変わっているはずです。「外出するということ」には、ただ楽しんだりリフレッシュしたりする以上に、これだけ大きな意味があるんじゃないかと考えるわけです。 だから、今回もこの言葉で締めくくりたいと思います。

 「さぁ街へ出よう、空気のように」


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